今回は塩野七生氏の「ローマ人の物語」を要約していきます。20は「悪名高き皇帝たち」の四巻です。五代目ローマ皇帝ネロ(紀元54~68年)の14年間の統治をまとめた内容となっております。ユリウス・クラウディウス朝最後の皇帝であり、歴史上ではローマ皇帝至上トップクラスの愚かな皇帝と評されるネロの政治に関して描写されています。
「ローマ人の物語20」
■ジャンル:世界史・歴史小説
■読破難易度:低(非常によみやすい文体で書かれており、一部物語調なのでサクサク読めます。世界史の教科書や地図を手元に置いて読むとわかりやすくなります。)
■対象者:・ヨーロッパの歴史について興味関心のある方
・ローマの栄枯盛衰の変遷を詳しく理解したい方
≪ローマ人の物語17・18・19(悪名高き皇帝たち)は下記≫
≪ローマ人の物語14・15・16(パクス・ロマーナ)は下記≫
■要約≪ローマ人の物語14≫ - 雑感 (hatenablog.com)
■要約≪ローマ人の物語15≫ - 雑感 (hatenablog.com)
≪参考文献≫
■ローマ人盛衰原因論
■要約≪ローマ人盛衰原因論≫ - 雑感 (hatenablog.com)
【要約】
■皇帝ネロの統治体制
・四代目ローマ皇帝クラウディウスによりローマ帝国の統治システムの基盤が再構築され、クラウディウス暗殺以後に16歳でローマ皇帝の座についたネロは近衛軍団長官ブルス・演説や政治思想担当としての哲学者セネカが支えるという形で統治が進みます。元老院中心の統治体制に回帰するような所信表明演説を展開し、司法権の独立(ティベリウス・クラウディウスは積極的に裁判に参加した)・立法の権利を元老院に戻すなどを宣言しました。
・また、クラウディウス時代に肥大化した解放奴隷問題・秘書官システムの廃止などを手掛け、経済面では元老院属州・皇帝属州と分けていた国庫を一本化するなどのシステムの再編を手がけました。
■外交問題
・ネロ統治の時代にはパルティア・アルメニア王国問題とブリタニア戦線の2つが軍事・外交の重要論点となりました。
・ローマ帝国の同盟関係にあるアルメニア王国(ペルシア系)に対してパルティアが侵略・王家にパルティアの血筋を据えるなどの対応の処理の必要に迫られました。ネロはシリア総督コルブロに問題解決を委ねる裁量権を渡し、コルブロはパルティアの息の根のかかった王家をアルメニアに据える代わりに堂々と進軍して周辺領土を荒し、ローマ皇帝に戴冠を直接受けるという形式にて現路線の統治を継続するという方策を採用しました。アルメニア王はローマに直接赴いて陸路で旅をしたうえで戴冠を受けるというプロセスを経ることで、パルティア王家の息の根がかかったアルメニア王国も実質的にはローマに主従関係にあるという大義名分を形成することに成功しました。これまでの外交方針を180度転換することで、以後トラヤヌスがローマ皇帝を務める50年後までローマ帝国のパルティア戦線は平穏を迎えることとなります。
・一方、クラウディウス時代からじっくり推し進めていたブリタニア遠征においては現地での反乱が発生してしまい、(そもそものブリタニア遠征がカエサルのガリア遠征のように、スピード感をもって進めて制圧した後に現地統合を漸進的に行うという王道に反したプロセス)7万のローマ人が虐殺される惨劇が発生しました。総督スヴェトニウスの見事な兵裁きにより、反乱兵8万を1万の兵力で制圧することに成功し、結果的に統治体制を改め、イングランド・スコットランドはローマ帝国の内部に組み込まれ、現地の司祭などはアイルランドに逃亡する形で帝国領土が拡大することとなりました。尚、イギリス・アイルランドの対比はカトリック・プロテスタントの対比以前に、ローマ帝国・非ローマ帝国という差分が発生していたと著者は評します。
■ネロの愚行・失脚
・母親の小アグリッピーナ・小アグリッピーナの実の息子ブリタニクス・政略結婚の妻オクタヴィアを死に至らしめ、首都ローマを襲った火災の責の濡れ衣が自分にもたらされると当時少数派であったキリスト教徒に責任転嫁し集団虐殺を命じ、ネロ暗殺未遂計画首謀者としてかつての自分を支えた哲学者セネカ・シリア総督コルブロに自死を命じるなど支離滅裂さがネロにあったのは事実です。また、水道インフラを整備したローマの池に水から飛び込み泳いで体調不良になる・ギリシア文化に傾倒し、自ら詞を書き歌を歌う、建築をギリシア仕様に変更しようとする、歌や詩の修行としてギリシア旅行に長期間赴くなど若さと自己制御の乏しさ故の謎の行動もたくさんありました。
・結果的に、軍団長ガルバがスペインで軍を率いて蜂起したことを受け、ネロの近衛軍団を率いるティゲリヌスは逃亡してしまい、元老院によりネロは国家の敵であると認める宣告が可決されてしまいます。ローマ帝政は軍団が忠誠宣誓をするかどうかという紙一重の統治体制です。紀元68年、統治14年にして30歳のネロは自死する形で五代目ローマ皇帝の役目を終えます。ユリウス・クラウディウス朝の血筋が途絶えた後に、以後約1年半の混乱期にローマ帝国は突入します。
【所感】
・ネロは歴史的な通説通り愚行や寄行が多い皇帝ではありますが、非常に人間味があり特に一部の政治的な意思決定(インフラ整備・軍事)においては歴代ローマ皇帝の中でもトップクラスの偉業も無しえている皇帝であるという印象を持ちました。本書で度々引用される当代を扱ったタキトゥスの「年代記」と著者の解釈・主張の差分が非常に面白くこちらも読んでみようと思った次第でした。
・君主政・民主政・共和政・専制など様々な政治形態・統治システムの善し悪しを比較検討、考察するということに歴史を学ぶ意味があると感じており、議院内閣制や立憲君主制・大統領制が古代ローマやギリシア等の試行錯誤の故に結論解として現代の政治システムとして残ったのだろうということを考えさせられる内容でした。
以上となります!