雑感

読んで面白かった本を要約しています。主に事業・プロダクト開発(PdM/UXデザイン/マーケティング)のビジネス書と社会科学(経済学/経営学)・人文科学(哲学/歴史学)の古典。

■要約≪ローマ人盛衰原因論≫

 

今回はモンテスキュー「ローマ人盛衰原因論を要約していきます。「法の精神」で有名なモンテスキューですが、ペルシア人の手紙」と合わせて有名な三部作の一つです。既に絶版となっており入手困難な本ですが、ヨーロッパ史と歴史研究の面白さが詰まった本で非常に魅力的な内容です。「古代に一代帝国を築き上げたローマがなぜ滅びたのか?」の問いに対しての要因分析が考察の中心となっており、暗喩的に当時のルイ14世の絶対主義批判をしている点が注目です。

 

「ローマ人盛衰原因論

『ローマ人盛衰原因論 (岩波文庫)』(モンテスキュー)の感想(9レビュー) - ブクログ

■ジャンル:歴史・政治

■読破難易度:中(ヨーロッパ史や政治・法律の基礎があると面白く読めます。自分は世界史の教科書を手元に置いて、時折読み返しながら読みました。)

■対象者:・ローマ帝国の盛衰に興味関心のある方

     ・歴史研究から普遍的な法則を見出すプロセスを味わいたい方

     ・政治・法律について学びを深めたい方

≪参考文献≫

■法の精神

■要約≪法の精神 第一部≫ - 雑感 (hatenablog.com)

■要約≪法の精神 第二部≫ - 雑感 (hatenablog.com)

■要約≪法の精神 第三部≫ - 雑感 (hatenablog.com)

■要約≪法の精神 第四部≫ - 雑感 (hatenablog.com)

■要約≪法の精神 第五部≫ - 雑感 (hatenablog.com)

■要約≪法の精神 第六部≫ - 雑感 (hatenablog.com)

 

【要約】

古代ローマ勃興~ローマ帝国形成まで

・ローマは広大な土地を支配するだけの軍術建築技術に優れており、多数の人民を支配下に取り込み軍力の維持・拡大が出来たとされます。統治の為、インセンティブを働かせるために「恒常的に戦争に明け暮れる必要」があり、必然的に戦争技術が高度に発達した文明となりました。文化・文明の基盤の多くはギリシアから借用・発展したものが大半であり、ラテン文学やローマ法を除いて独自路線の文化はあまり発達しなかったとされます。

古代ローマは当代のカルタゴスパルタなどの政体に比べて圧倒的に軍事力が強く、規律と徳を重んじる質素な風土がありました。それが古代ローマの競争優位の源泉と見なされました。植民地や軍隊組織のマネジメントに優れており、共和政元老院を政治機関のトップとしながら絶妙に力関係の均衡が保たれるバランスを国全体で持ち続けていたことが凄みとされます。

「人民の利害の代表として護民官」・「貴族の利害の代表として元老院」があり、時に独裁官(ディクタトル)が強制執行をするなどの均衡と柔軟性が古代共和政ローマには見られました。モンテスキューの見立てとして、共和政ローマはこの絶妙な均衡(人民⇔貴族)や議論プロセスを経る透明性の担保された政治意思決定が徹底されたことで常に競争・改善の力学が働き最適化され続けたのが凄い」と評しています。

 

共和政ローマが腐敗の道へ進むこととなる決定的な要因について

モンテスキューは共和制末期に流入してきたエピクロス(紀元前4世紀頃)の思想が禁欲と規律ある精神を誇ったローマの精神性を堕落に導き、帝政への移行ローマ帝国崩壊への決定打になったと見なしています。共和政ローマにおいては商業や手工業は奴隷の営みとされて、貨幣保有インセンティブは乏しかったです。農業軍事組織に従事し、戦争で功績を挙げていき名誉を高めることがこの社会における美徳と見なされておりそれこそが強大なローマの国の規律と競争力を形成していました。

第一回三頭政治ポンペイウスクラッススカエサル)・第二回三頭政治オクタウィアヌスアウグストゥス)・アントニウスレピドゥス)を経て帝政へ移行する頃には自由と規律ある風土は崩壊しており、広大な土地のローマ帝国をその強さを保ちながら維持することはほぼ不可能な状態になっていたとモンテスキューは評します。

 

帝政ローマについて

・共和政時代と異なり、帝政において元老院は皇帝に従属し立法と司法の執行にフォーカスするような立ち位置に陥っていました。政務官選出の権利だけはまだ人民に付与していましたが、ティベリウスの時代にこれも元老院に帰属するようになり、実質的に皇帝独裁の道を進みました。「国の強さと安定基盤」をインセンティブとして、独裁的な皇帝政治をすることを成立させたローマ帝政衰退・崩壊は必然の流れであったし、これと同じことを当時のフランス(ルイ14世の絶対主義)はしていると暗喩しているのがモンテスキューの本書におけるスタンスです。

アウグストゥスまでの時代に整備された「ローマ法に基づいた司法機関」・「元老院による立法機関」という機能は初期ローマ帝政で崩壊し、私有財産権や司法権は無法地帯になってしまいました。「皇帝による実質的な専制政治はよくない」ということで君主制と行政執行機能を付与した三権分立制による政治機構が理想であるというモンテスキューの結論に辿り着きます。

 

五賢帝ローマ帝国分割・西ローマ帝国滅亡

アントニヌス・ピウス(138~161年)、その養子であるマルクス・アウレリウス(161~180年)がローマ皇帝の時代はギリシアからスコア派哲学が持ち込まれ、禁欲と徳の精神がはぐくまれ安定的な治世が実現しまいた。「人間についての見解を深めることが自分自身の理解・自己実現に繋がる」という示唆をもたらしました。ネルウァトラヤヌスハドリアヌス両アントニヌス賢帝と呼ばれ、安定的かつ威厳ある治世を収めた後はその強大な領土と軍事力による暴力的な政治支配のスタンスをする皇帝統治が続き、ローマ帝国は腐敗の道を進むこととなります。

・広大なローマ帝国を支配するだけの資源とカリスマ性を有した皇帝は軍人皇帝の時代に現れず、東西に帝国は分割し、コンスタンティノープル遷都・キリスト教国教化による支配試みなどの変遷を経て、帝国外部に存在したフン族ゲルマン民族・ゴート族などの脅威も相まって四世紀に西ローマ帝国は滅亡しました。

 

西ローマ帝国滅亡後の東ローマ帝国ビザンツ帝国)の動きについて

・蛮族が団結して集中攻撃をしたことで西ローマ帝国は崩壊しましたが、彼らは利害が一致しただけで相互連携する気はありませんでした。野蛮で野心的な民族達は自分達のテリトリーを確保して資源をほしいがままにしようと目論みました。ゴート族・フン族の勢力がそれほどでもなくなった時に、東ローマ皇帝ユスティニアヌス(527~566)はイタリア半島北アフリカの再征服を企てることとなります。西ゴート族ブルグンド族ランゴバルドなどの蛮族たちにキリスト教が受け入れられる中で、征服を円滑にする為に、東ローマ帝国で主流であったアリウス派からアタナシウス派に改宗するという大胆な意思決定をユスティニアヌスは決断しました。こうした征服事業をしている中で東ローマ帝国は周辺民族を軍事勢力として取り込みマネジメントするようになり、他民族国家の基盤が出来上がっていきます。一方で、ユスティニアヌスは長く皇帝に在位し、往年は老害じみた状態であったとされます。周辺民族のマネジメントにほころびが出て、東ローマ帝国の中東領土が周辺民族の手に渡るようになっていきます。

 

 

【所感】

・本書は「法の精神」に比べてテーマがシンプルであり、歴史考察のウェイトが強いので読み物として面白くかつ読みやすいのが印象的でした。共和国足る均衡が保たれた状態が最強であったのに「一部の権力・権威が集中する」帝政に移行したことでその強みが失われ崩れたというモンテスキューの一貫した主張が印象的です。モンテスキューマキャベリ同様、共和政ローマを推奨しており、カエサルアウグストゥスなどの五賢帝が支配する帝政ローマを強く批難しています。「主要な傾向があらゆる個別出来事を引き起こす」という歴史の必然性に迫るような真理・法則を見出だそうとしているのが本書のモンテスキューには見られ、これは現代に通じる歴史の学問的意義です。一方で、本書は政治・軍事史に特化した内容となっており、社会経済学的な考察がない点は弱いと解説では評されています。

・本書は政治・法律に関して後世に大きな示唆を与えており、また歴史や学問を学ぶことは普遍的な法則や因果関係を理解し、思考を深く柔軟なものにせしめる効用があると気付かせてくれる本です。時間を置いて読み返してみたいと思える非常にワクワクする本でした。

 

以上となります!