今回は塩野七生氏の「ローマ人の物語」を要約していきます。10は「ユリウス・カエサル・ルビコン以前」の下巻です。8年間のガリア遠征を通じてカエサルは脅威であるゲルマン民族を抑制しながらガリア領(現フランス・スイス)をローマ帝国の属領に組み込むことに成功します。その最中、ローマ本国の元老院派との対立を深め、三頭政治が崩壊しカエサル軍は国賊扱いされながらルビコン川を越えていくまでの過程を扱います。
「ローマ人の物語10」
■ジャンル:世界史・歴史小説
■読破難易度:低(非常によみやすい文体で書かれており、一部物語調なのでサクサク読めます。世界史の教科書や地図を手元に置いて読むとわかりやすくなります。)
■対象者:・ヨーロッパの歴史について興味関心のある方
・ローマの栄枯盛衰の変遷を詳しく理解したい方
≪ローマ人の物語8・9(ユリウス・カエサル・ルビコン以前)は下記≫
■要約≪ローマ人の物語8≫ - 雑感 (hatenablog.com)
■要約≪ローマ人の物語9≫ - 雑感 (hatenablog.com)
≪参考文献≫
■ローマ人盛衰原因論
■要約≪ローマ人盛衰原因論≫ - 雑感 (hatenablog.com)
【要約】
■ガリア戦役六年目~八年目
・カエサル率いるローマ軍は四個軍団からスタートして最初の2年で八個軍団になりルッカ会談を経て十個軍団となっていました。ガリア北東部攻略に焦点を定めてカエサル率いるローマ軍は動いており、ネルヴィ族を攻撃し講和を持ち掛けた後には最大勢力であるトレヴェリ族を攻撃し、反乱の首謀者であるエブロネス族長アンビオリクス掃討を進めました。この期間はゲルマン民族領土が近くにある中で抵抗勢力と一部結託する動きを見せ、ゲルマン民族はガリア領土制圧の抑止力として立ちはばかりました。ガリア民族は定住・農耕型であるのに対し、ゲルマン民族は狩猟・移動型であり「ゲルマンよりもガリアをローマ化するほうが筋良く領土拡大できる」という見立てがカエサルにはありました。その為、ライン川を越えてゲルマン民族を威嚇しガリア攻略に戻るなどの工夫を凝らして進めていくこととなりました。
・ガリア戦役七年目はガリア民族が一斉に放棄してローマへ反戦体制を掲げる年となります。ガリア反乱軍は中央部へ結託・蜂起し兵糧攻めをする形でカエサル率いるローマ軍に抵抗の動きを示しました。ガリア反乱軍の総大将はヴェルチンジェトリックスという将軍であり、非常に誠実であり、頭の切れる将軍であり、カエサルと均衡を保つことのできるような将軍の器であった人物とされたようです。オーヴェルニュ族の族長でありガリア総大将であるヴェルチンジェトリックスは族の首都であるジェルゴヴィアに籠り、ローマの同盟的な存在であったガリア兵ヘドゥイ族の内乱をうまく活用してカエサル率いるローマ軍と対峙しました。前半はローマ同盟にあるヘドゥイ族の同盟離脱に成功し、兵糧攻めでじり貧を狙う構成を構築することができたローマ反乱軍ですが、圧倒的な勝利や大義名分のない多国籍軍であった為、結託力に欠け南欧での衝突における敗北を機に一気に体制を変更して都市アレシアに籠るという動きを見せました。アレシア攻城戦は兵糧攻めをローマ軍が展開することで逆にガリア軍がじり貧になる展開を見せました。尚、アレシア攻城戦は「五万のローマ軍VS三十四万のガリア連合軍」という構図でした。中央の丘での均衡を巧妙に活用し、背後から襲い掛かるという戦術の妙でカエサル率いるローマ軍はガリア連合軍を打ち克つことに成功し、ガリア最大勢力ヘドゥイ族とオーヴェルニュ族の主要勢力に降伏を強いるという形で守備陣営を盤石なものにしてガリア領土の統治を進めていくきっかけとしました。
・ガリア戦役八年目はアレシアの戦いの戦後処理としてガリアとの同盟関係を強固にしていく年となりました。カエサルは「現地の身分制度を最大限尊重しながらローマ帝国内部に組み込む」という構想を描き、ローマ化は有力家系の子息をローマ・南仏に留学させるという形式と通商をローマ帝国内部に組み込むが思想信条の自由は担保・最低限の国防に関わる納税だけを強いるというやり方で対峙しました。
・ガリア戦役六年目に三頭政治の一角をなすクラッススがパルティア遠征に赴きます。パルティアは現在のイランイラクにあたる中東の大国として長らくローマの脅威となっていました。東欧~中東地域とヨーロッパ文明の関係はアレクサンドロス大王が平定をしてから現地勢力が盛り返し、ポンペイウスが東欧地域はローマ帝国属領内部に取り込むことに成功・中東地域はこれからといった状態でした。クラッススは軍事の功績とリーダーシップ・シンプルな戦略戦術スキルが災いしてパルティア遠征にて戦死すると共に、ローマ軍に多大な被害を与えてしまいます。これを機に三頭政治は崩壊し、ポンペイウスとカエサル・元老院派というパワー均衡になります。
・カエサルがガリア領を統一する最中、ローマは元老院派と民衆派で世論が二分されていました。元老院派は寡頭政治を理想とし、独裁官のような体制を回避することを重視していました。ポンペイウスと元老院の息の根がかかったメテルス・スキピオの二名による執政官体制になり、ポンペイウスは元老院派に近づくことになりました。ポンペイウスは自身がもつ虚栄心を元老院派のキケロや小カトーにそそのかされて元老院派へ取り込まれることになりました。「属州統治に従事するものはローマ首都の政治機関にアクセスできない」というガバナンスコードの中で、カエサルは元老院派の結託に対抗するために護民官勢力を金で買収する動きを見せました。護民官クリオ→マルクス・アントニウスとカエサル派で固めて対抗し、じわじわと「元老院・ポンペイウスvs民衆・カエサル」の構図に世論は傾きました。
・カエサルをガリア領統治から解任する元老院の法律を護民官が拒否権を行使して抑止する局面が進み、ついに元老院はカエサルおよび護民官を国賊とみなす元老院最終勧告を出しました。カエサルはマリウス率いるローマ軍の暴動により親族が皆殺しにされた生い立ち故に元老院体制を終わりにして新たなローマ政治体制を構築することを人生のミッションとしており、その思想に従い葛藤しながらも属領とローマ本国の境目であるルビコン川を渡り、ローマ本国およびポンペイウス軍と戦うという道を決断することとなります。
【所感】
・圧倒的な兵力差・制約条件の中で八年の月日を用いてゲルマン民族を抑圧しながらガリア民族のいるガリア領土を完全にローマ帝国内部に組み込むことに成功したカエサルの偉業は圧巻でした。カエサルは「ガリア戦記」にて淡々と記述し、民衆を鼓舞する・後代まで受け継がれる文学作品を生みだすという功績もありカリスマ性が際立つものです。著者が特別視して多くのページを割いてカエサル関連を描くことも納得というような内容です。
・スキピオによるスペイン・ポンペイウスによるギリシア・カエサルによるフランス・スイスのローマ帝国内部組み込み化に成功するという偉業が続く中でローマ帝国は肥大な国家に成長していきました。大事を成すというのは「時流を見極め、選択と集中をして強烈なリーダーシップと実力を以て成しえる」のだということを思い知らされる思いです。また、ローマ帝国の数百年の歴史における元老院勢力の動向というのは人間の性質や政治の難しさを炙り出すような出来事が非常に多いと考えさせられます。強烈なビジョン・野心と共に時流に乗れるように爪を研いで小さな功績を積み上げていくということなしには大きなことはできないということの教訓を歴史は物語っているのだなということを再認させられる内容でした。「ガリア戦記」も読んでみて理解を深めたいと思う次第でした。
以上となります!