雑感

読んで面白かった本を要約しています。主に事業・プロダクト開発(PdM/UXデザイン/マーケティング)のビジネス書と社会科学(経済学/経営学)・人文科学(哲学/歴史学)の古典。

■要約≪ローマ人の物語7≫

 

今回は塩野七生氏のローマ人の物語を要約していきます。7は「勝者の混迷」の下巻であり、紀元前110~紀元前63年の混沌とした時代を描きます。前半は共和政ローマ末期を牽引したガイウス・マリウスルキウス・コルネリウス・スッラの執政官としての振る舞いに関する記述がなされ、後半は後に第一回三頭政治を取り仕切ることになるグナエウス・ポンペイウスローマ帝国領土東方拡大の様が記述されています。

 

ローマ人の物語7

ロ-マ人の物語 7 / 塩野 七生【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア

■ジャンル:世界史・歴史小説

■読破難易度:低(非常によみやすい文体で書かれており、一部物語調なのでサクサク読めます。世界史の教科書や地図を手元に置いて読むとわかりやすくなります。)

■対象者:・ヨーロッパの歴史について興味関心のある方

     ・ローマの栄枯盛衰の変遷を詳しく理解したい方

 

ローマ人の物語3~5(ハンニバル戦記)は下記

■要約≪ローマ人の物語3≫ - 雑感 (hatenablog.com)

■要約≪ローマ人の物語4≫ - 雑感 (hatenablog.com)

 ■要約≪ローマ人の物語5≫ - 雑感 (hatenablog.com)

 

ローマ人の物語6(勝者の混迷)は下記≫

■要約≪ローマ人の物語6≫ - 雑感 (hatenablog.com)

 

≪参考文献≫

■ローマ人盛衰原因論

■要約≪ローマ人盛衰原因論≫ - 雑感 (hatenablog.com)

 

【要約】

マリウスとスッラの時代(紀元前110~78年)

・同盟者戦役終結後のローマ帝国小アジアポントス王国ミトリダテス六世の脅威に悩まされ、度々執政官が出兵して平定を強いられていました。国内では「平民階級と貴族階級(元老院)どちらの利害を優先するか」という論点があり、マリウスとスッラは対立関係にあるなど混沌を極めていました。当時の執政官は民衆派の執政官キンナと元老院重視の執政官スッラが対立しており、スッラが戦争に出かけていることを良しとして民衆派を扇動して執政官キンナはスッラおよび軍隊を国外追放する法律を制定しました。スッラはポントス王ミトリダテスを抑圧する為に、ギリシア都市の要所アテネを手持ちの陸軍と援軍要請をした海軍で攻略しました。

・スッラはミトリダテス率いるポントス王国軍に連戦連勝を収めた後に、小アジアにおけるローマ帝国の統治基盤をじっくり築いた上で執政官キンナ率いるローマ本軍を打ち取りに行くように反撃を開始します。掃討を徹底する為に、この戦いの最中で民衆派関連の人材はとにかく根絶やしにされる動きが採られました。公職追放・財産略奪・殺戮などで徹底的に処せられ、この一連の動乱で富と名声を構築したのがクラッススでした。ポンペイウスはアフリカ遠征をして反対勢力討伐に励んでおり、後の基盤を構築している時代でした。

・スッラは合法的に無期限の独裁官へ就任しました。スッラはスッラ派から執政官を2名任用して紀元前81年に独裁体制の基盤を確固たるものにしました。スッラはローマ市民法をユリウス法に則り、反対勢力の動きを見せたエトルリアなどの一部の都市から没収し、解放奴隷にも権利を認める執政官キンナ時代の法案を廃止するなどして足固めの整備をし、福祉問題においてはガイウス・グラックス時代の小麦法と呼ばれる後の救貧法に近い社会保障制度を廃案にしました。民衆勢力の芽を紡ぎ、国家財政健全化を急ぎました。

・加えて、スッラは元老院の定員を300→600へ大幅に増やし、経済活動で富を持っていた後世の中産階級のようなエクイタス(騎士階級)で埋めて政治の安定基盤を構築しました。司法制度についてはグラックス兄弟以前の、「陪審員元老院限定とする体制」に戻し、会計検査官・法務官・執政官などの定員や年齢制限も明確に設定し、寡頭政治となっていた元老院中心の共和政はしっかり年功序列な秩序に回帰しました。

・この頃のローマ帝国における重要な属州は10個ありました。シチリア島サルデーニャ島・東スペイン・西スペイン(現ポルトガル)・プロバンス地方・マケドニア地方・小アジア・旧カルタゴ領(北アフリカ)・北部イタリア(ガリア)の10個でそれぞれの総督には前法務官前執政官を毎年派遣するという形で統治しました。

・スッラは軍事勢力に関する文民統制を徹底する為に師団の規模に上限を定め、統治する立場は全て元老院承認の基行われるというガバナンスシステムを作り上げました。非常に緻密なシステムを保守的に組み立てていくのがスッラの特徴です。そして、元老院中心の中央集権的なシステムを構築する為に元老院の権力を強化する裏で、平民階級の護民官の権力を弱体化させる法案を成立させました。これらの一連の改革を約2年係りで行いスッラは独裁官の地位を退任します。スッラの改革の基本的な思想は綻びの出た元老院中心とした共和政体制の維持という大目的に集約されました。

 

ポンペイウスの時代(紀元前78~63年)

・スッラが構築した元老院中心の共和政体制はスッラ派の若手有望株であるクラッススポンペイウスに崩されていくという悲劇を辿ります。ポンペイウスはセルトリウス率いる反スッラ体制がローマ帝国領土のスペインで暴れていることを機に、平定活動で武功を上げ年齢の壁を越えて政治権力に台頭していくことを目指しました。クラッススは執政官時代に剣闘士によるスパルタクスの乱を鎮圧した功績を以て、同じく台頭していきます。

ポンペイウスクラッススは紀元前72年に同時に執政官になり、護民官の復活・ホルテンシウス法護民官で定めた法案は元老院の承認なく有効となる)の復活・陪審員制度の改革(元老院議員で独占されていた構成を元老院議員・騎士・平民などで分散させるようにした)などを行い、それぞれの政治基盤の安定化を目指しました。ここで更なる政治権力を獲得したのはポンペイウスで、持ち前の軍事の才能・実力を活かし変わらずローマ帝国の脅威として長らく存在したミトリダテス王率いる小アジア連合軍・地中海海賊の制圧を進めました。またポンペイウスは絶対指揮権の任期を用いて、当時中東地域の3強であったパルティア(ペルシア)・ポントス・アルメニアの均衡を打ち破り、アルメニア王国ポントス王国・近隣のセレウコス朝シリアをローマの属国・同盟傘下に収めることになりました。こうして、エジプトとパルティア王国を除いた広大な土地がローマ帝国の内部に組み込まれました。

法・軍事・身分階級・共和政というシステムの力で広大な帝国をマネジメントすることを可能にしてきたの共和政ローマが大帝国を形成するに至った要因とされます。紀元前63年頃には「オリエントを平定した」ということでポンペイウスローマ帝国で圧倒的な政治的地位に上り詰めるに至ったのでした。

 

 

【所感】

ポエニ戦争を経て、じわじわとローマ帝国が東西に基盤を広げていく過渡期ということで非常に面白く読むことが出来ました。内乱(主に身分階級闘争)と外敵の脅威に常に悩まされながら、共和政という適度な政治均衡を保ち広大な帝国を統治しようとやり繰りする時期であることが随所に伺えました。ポエニ戦争以後、100年がかりでマケドニア王国・ギリシア都市、そして小アジア~中東地域といった具合にじわじわとローマ帝国は東方面へ拡大していったのがわかります。以後、ローマ帝国西方面にスペイン・ガリア(フランス)と統治範囲を広げていくのですが、世界史の教科書で淡白に記述された部分を詳しく読み解いていく内容なので非常に読んでいて面白いです。

・本書を読んでスッラの印象がガラッと変わったのが印象でシステムによる政治統治というものを極めて真面目に考えて最後まで可能性を模索していた人なんだなと感心させられた次第です。独裁政治というのにも何らかの狙いがあるという風に想像力を働かせて考察することが大事なのかもしれないと気付かされました。

 

以上となります!