雑感

読んで面白かった本を要約しています。主に事業・プロダクト開発(PdM/UXデザイン/マーケティング)のビジネス書と社会科学(経済学/経営学)・人文科学(哲学/歴史学)の古典。

■要約≪ローマ人の物語2≫

 

今回は塩野七生氏のローマ人の物語を要約していきます。2は「ローマは一日にして成らず」の上下巻の下巻であり、上巻に引き続きギリシア文明の栄衰と比較する形で紀元前5世紀~紀元前3世紀の共和政ローマの時代をまとめています。

 

ローマ人の物語2」

『ローマ人の物語 (2) ― ローマは一日にして成らず(下) (新潮文庫)』(塩野七生)の感想(201レビュー) - ブクログ

■ジャンル:世界史・歴史小説

■読破難易度:低(非常に読みやすい文体で書かれており、一部物語調なのでサクサク読めます。世界史の教科書や地図を手元に置いて読むとよりわかりやすくなります。)

■対象者:・ヨーロッパの歴史について興味関心のある方全般

      ・ローマの栄枯盛衰の変遷を詳しく理解したい方

ローマ人の物語1は下記※

■要約≪ローマ人の物語1≫ - 雑感 (hatenablog.com)

 

≪参考文献≫

■ローマ人盛衰原因論

■要約≪ローマ人盛衰原因論≫ - 雑感 (hatenablog.com)

 

【要約】

■紀元前5世紀頃の地中海世界について

共和政ローマ元老院議員が視察した頃のアテネはキモンが陶片追放されペリクレスが実権を握っていました。ペリクレスクレイステネスが構築した直接民主政の基盤を維持拡大し、アクロポリス再建劇場入場料無料化など内政安定化に努めました。三十年間、国家戦略担当官に選ばれ、長らく議長を努めたのはその政治手腕の凄さを物語ります。この時代は文化振興にも務め、当代のアテネギリシア哲学は大幅に発達しましたし、スパルタを仮想敵国にした海軍整備も欠かさませんでした。アテネと覇権を争った軍事国家であるスパルタの動きも観察した上で、ローマはアテネ・スパルタいずれとも異なる政体を採用していく意思決定をしていくことになります。というのも、精神の自由がなく、発展しようがないスパルタの統治手法は参考程度にとどめ、アテネの民主政も優れた統治者あってのかなり難易度の高いものと解釈したのです。

・尚、ローマ元老院議員視察終了後のギリシア世界はアテネとスパルタのペロポネソス戦争が勃発しました。アテネペリクレスが病死して衆愚政治局面を迎えており、この時代の政治はアルキビアデスクリティアスなどソクラテスの弟子陶片追放されないように配慮しながら実質的な独裁政治をしていました。参考までに、このペロポネソス戦争時期にソクラテスプラトンは活躍したとされます。ペロポネソス戦争でスパルタが勝利したあとはテーベが政体を引継ぎ、紀元前350年頃にはマケドニアギリシア世界の覇権を占めるようになりました。東方遠征を繰り広げギリシア世界の覇権を握ったアレクサンドロス大王誕生もこの時代です。

 

■貴族VS平民の階級闘争

・紀元前360年頃までのローマは貴族対平民の争いが絶えない不安定な政治体制であした。任期1年のコンスル(執政官)で優れた統治をするとなると相応のスキルと経験を有していないといけなく、結局は「優れた名家の元老院議員が執政官の座席を占める」という状態が自然発生しました。これが長期間続き執政官と元老院は癒着するようになり、民集会VS元老院・執政官という構図になりこれは詰まる所、「貴族VS平民」という身分闘争局面を迎えました。硬直状態が続き、「平民の利害を尊重すること」をミッションとした護民官という役職がローマ政治機構に制定され、状態は改善します。

・この時代の平民の権利主張のテーマは成文法でした。当時のローマ法は口頭伝達が主流であり、「蓄積のある貴族階級に有利な法取引ではないか?」という仮説から成文化が志向されていました。ギリシア使節団が主体となり成文法委員会が創設され草案を作ることになりましたが、平民との対決路線を明確にしていたクラウディウスが成文法の指揮をしたことで十二表法は平民の期待とは全く違う法律となりました。

 

ケルト族(ガリア人)の脅威

南ヨーロッパは畑や牧畜業、海上貿易などをしていましたが、北ヨーロッパは森が生い茂り未開拓でした。北ヨーロッパ地域は主にケルト族(ガリア人)が覇権を占めており、紀元前6世紀頃からケルト族の南下は始まり次第にローマの脅威に変容しました。元々ケルト族とはエトルリアが敵対していましたが、ローマがエトルリアを攻略し自国に取り込む紀元前4世紀頃にはケルト族とローマは直接対決路線になりました。エトルリアを攻略し兵力が摩耗しており貴族階級と平民階級の衝突がたえない中でローマはケルト族の侵略を受け手紀元前391年頃に約半年ローマは服従されることになりました。ケルト族は都市の扱い方を知らなかったので占領後持て余してしまうことになり、結局は金を引き換えにケルト族に撤退してもらうことに成功しました。その後のローマ統治は追放されていたカルミスを連れ戻し、独裁官に任命して強い軍隊を再構築しました。ケルト族の襲来は強い軍備構築の必要性、名誉回復、周辺地域マネジメントなど様々な発明の種をもたらしました。

 

共和政ローマイタリア半島中部を制圧するまで

共和政ローマケルト族の侵略から学び周辺諸国とのローマ同盟(旧ラテン同盟)構築に奔走するようになります。ローマ市民権の有無などでセグメントをきり、植民市を大量に構築していき国防増強に努めました。植民市を序列と権利(ローマ市民権の有無)で区分し、アッピア街道などを始めとした公道でつなぐことで強大な土地を支配するマネジメントシステムを構築しました。紀元前3世紀~1世紀の間にローマ帝国は大量の道路上下水道が整備されるようになりました。サムニウム族と呼ばれる山賊集団、ターラントと呼ばれるイタリア半島南部のギリシア系都市を征服しローマの領土が広大化していきます。

 

【所感】

・世界史の教科書ではあっさり記述される時代をギリシア文明との対比でまとめており非常に面白く読むことが出来ました。ローマ法・植民市などを基盤とした中央集権的な政治システムを自力で構築したローマ文明の偉大さが垣間見える内容でした。ローマについて本書で学びながら、同時にギリシア文明についてもより深く学びたいと思える内容でして、アレクサンドロス大王の東方遠征を真似して東ローマ帝国ビザンツ帝国オスマン帝国と同様の思想を有した帝国がバルカン半島小アジア地域に形成される歴史的必然性も垣間見えました。

キリスト教が発達する以前のヨーロッパ社会というのは非常にシンプルな統治システム・文化であり読みやすいのも好印象でした。ローマ人盛衰原因論で大まかな概略を理解していたので、本書の考察はとてもわかりやすく感じました。

 

以上となります!